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昭和41年のジュネーブショーにおいて、
カロッツェリア・ギア社のブースに展示された、その流麗なプロトタイプに、
誰もが息を飲んだ。
周りには、その後「スーパーカー」ブームになる、
ランボルギーニなどが展示されているにもかかわらずの注目度。
その名は、117スポーツ。
開発コードそのままの出品である。
この会場には、もう1台117と称した、プロトタイプが存在。
117セダン。
昭和42年12月。
クーペより先に市場に姿を現した、フローリアンである。
フローリアンに遅れること1年。
先の117スポーツは、「117クーペ」として登場!
G・ジウジアーロのデザイン。
それまでの国産車からは かけ離れている流麗かつ洗練さに、
自動車慣れしていない日本人は、大いに驚いたのである。
また外観のデザインだけに留まらず、室内空間も今までにない
スポーツクーペにして、応接間のような感覚は、「憧れ」を抱かせる車。
ラグジュアリカーの走り、大人の4座クーペだ。 |
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エンジンは、当時聞き慣れない
DOHC「ダブルオーバーヘッドカム」を採用。
最高速190kmも、当時としては
脅威。
初期の3年間は、月産たった50台のハンドメイド生産。
コスト面も合わず、 本体価格も
高価。
当時の172万円は、、、
今の価値に換算すると
ゆうに1000万円を超える。
世界に通用する
スポーツクーペの誕生。
いすゞのイメージリーダーカーだ。 |
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ハンドメイドは、現在のみならず、
当時としても希少性が高く・・・価格も高いため、新車で購入した人は、一般庶民ではなかった。
未だ生産ライン化できない
ジレンマ。
志は高いものの、
それを形に出来ない・・
初期の117クーペ・ハンドメイドは、
そんな運命を背負っていた。
生産台数も、
合計で極少の2458台。
昭和48年、GMとの提携によって、ライン化がスタート。
ハンドメイドではなくなったが、
その流麗さは変わらず、
通称「丸目117」と呼ばれ、
庶民に少し近づいてきた。 |
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昭和52年のマイナーチェンジでは、
ヘッドライトを角目4灯に改め、時代の先端をアピール。
117クーペは、登場した昭和43年から13年間、
いすゞのイメージリーダーカーであったが、
昭和56年、ピアッツァに その座を譲り、
フルモデルチェンジすることなく、絶版となる。
絶版後、27年経過した現在もなお、
そのデザインは他の追随を許していない気がする。
117と言えば、この形!
こういう車って、最近なくなってしまった。 |
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