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| 日野 コンテッサ DX コラム3速 PD100型 1300cc |
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モノの本によると、
かつて日野自動車が独自に自社開発した
最初で、そして最後の乗用車。
それが今回ご紹介する「日野 コンテッサ」である。
コンテッサとは、イタリア語で「伯爵婦人」。
それは単なる語源にすぎないが、
その意味合いは肌で知ることとなる。
それはまた後ほど・・。
デザインは、独立し10年が経過する頃の
「ジョバンニ・ミケロッティ」。
コンテッサと同世代では、
代表作に「スカイライン・スポーツ」がある。
この現車のCピラーには
そのイニシャルが
誇らしげに掲げられている。
もう少し挙げれば、
トライアンフのTR4や、アルピーヌのA106など。
いずれにしても、ラインの美しさは
ミケロッティならではだ。
かつて当店が旧車専門店を始めた頃に仕入れた、
ルーノー・カラベルもミケロッティだったと思う。 |
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日野自動車は、1950年代初頭から、
ルノー4CVをノックダウン生産することによって、
その技術力を蓄積していった。
それは、もちろん
将来の乗用車生産を見据えての1方法だったろう。
確かに、まだまだ国産車のレベルが低かった
1950年代に於いて、
ルノー4CVは営業車として、
「神風タクシー」の称号を得るに至っている。
昭和36年、
日野自動車として自社開発の一号車は、
「コンテッサ900」だった。
ルノードーフィン と日野ルノーを
足して2で割ったような風貌だったが、
リアデザインなど一連のミケロッティ色満載だった。 |
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このコンテッサ900は、現車である1300を
世に送り出す4年間生産されたが、
今となっては、博物館で見かけるくらいの
超の付く希少車となってしまった。
当店においても、
過去 日野ルノー、コンテッサ1300の取り扱いは
数台あったわけだが、
900に関しては、拝んだことがない。
と言っても、
コンテッサ1300も
お客様の整備依頼で入庫したことを除き、
もう10年ぶりくらいの入庫で、
こちらも希少車の代表格として扱っても良さそうだ。 |
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さて、、
現車を見てみよう。
昭和42年式、コンテッサとしてというより、
日野自動車の乗用車として最後の年式 最終期にあたるコンテッサ1300DX。
前回は当店で車検整備し、しばらく動かさずに不動状態だったが、
坂巻工場長の手によって蘇った。 |
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バンパーなどのメッキ類の小錆びや小キズ等あるが全体として、
年式からすればまずまず。
シートは過去貼りかえられており、良好。
ダッシュに数本の割れがある。
撮影に往復約25キロを仮ナンバーにて走行。
わたくし旧車屋@親父は、後車510ブル。
前車コンテッサは、当店の大番頭 柳生が運転。
片や神風タクシーの後継車と言えども、
昭和30年代の設計のコンテッサ1300cc。
戦後の名車と呼ばれる510DXは1600cc、
余裕のヨッちゃん(懐)でカモってやろうかと・・・(笑)。
ところが、見る見るうちに速度が上がり、510には それほど余裕が・・・。 |
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撮影場所に到着し、、、
親父 「ずいぶん調子良さげだね」
大番頭 「そうですかぁ〜 いや普通に走っただけですよ」
と涼しい顔。
帰路に運転を交代して、その涼しげな意味がよくわかった。
つまり・・トルクが太いのだ。
これは楽しい。そして40年前の車には思えない。 |
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それにRRの後ろから押されて動いているような、加速感・・。
まさにジャジャ馬・伯爵夫人。
あなたは乗りこなせるだろうか!
と言うほど、難しい車ではないが、是非現車をご覧いただきたい。
日野自動車は、昭和41年にトヨタと提携を結び、
トヨタの一部トラック系と、日野トラックを生産。
事実上の傘下となる。
その後、単独のメーカーとしての乗用車は今日まで生産していない。
コンテッサ開発陣の志が絶たれたことは、とても残念な気がする。
たった6年間の日の目だった。 |
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